日系移民

MELE KALIKIMAKA!





昨日たまたま迷い込んだ横浜の「海外移住資料館」という建物。ハワイ移住者が愛してやまないお祭り「ボンダンス(盆踊りのこと)」の企画展も行われていました。

夏の間は本当に至る所でこの「ボンダンス」がハレイワでも毎週のようにどこかで行われていて、日本人として、ちゃんと浴衣が着れるようになっておかなくちゃ!と今更ながらに思っていました。



「手ぬぐい」や「はっぴ」や「お寺のおまもり」も日本の文化そのままです。英語のせいか、何かちょっとビミョウに違う感じが不思議な可愛さを醸し出しています。





11月のサンクスギビング(感謝祭)にはワイアルアの教会に行きましたが、この教会はこのパイナップルとサトウキビ畑で働いていた日本、フィリピンからの移民の子孫たちが多くを占めています。見ていると不思議な親近感とノスタルジックな気分になります。今ではハワイの日系の人口は20〜25%程度ですが、第二次世界大戦以前は日系人はハワイの人口の40%も居たそうです。

サトウキビ畑で働く様子がどんなだったかをコミカルに演じた劇もやってくれました。お弁当の中身を批評しあう様子(貧しかったので大したものが入っていない)や、日本人のHANAKOはベッピンだよな!(今はおばあちゃんですが実在します。美味しいジャムを作るのでいつもハナコおばあちゃんのジャムを日本へのお土産に買っています。)と噂話をする様子など、とてもリアルで面白かったです。




4つくらい人種が混ざり合っているのはハワイでは普通。ハワイに居ると世界中がもっと混ざり合っちゃえば戦争なんてなくなるのでは?とさえ思えてきます。



このパイナップルのステンドグラス、十字架とパイナップルの融合なんてすごい緩すぎる〜!(笑)と思って、大好きなデザインです。



なんと、ベルトのバックルに同じモチーフを発見!彼はこの辺り一帯の農場主(プランテーション)の子孫です。プランテーションのロゴだったんですね。もしくは家紋かな。農場主のファミリーもこの教会に参加しています。とても慕われていて、働いている人との関係性も良かったんだな、と思わせてくれます。

あとで良く見たら、ハレイワのビーチパークには彼のお父さん(現在90歳!)の名前がついていました。



本当であればクリスマスには今年も行く予定であった教会。



行くとランチが楽しみです。主にハワイアン、フィリピン系、日系の食事が並びます。日系の人は煮物やちらし寿司などを作ってくれています。ハワイでは「NISHIME(煮しめ)」が共通用語です。


ニシ〜メ〜(シにアクセント!)

そして、ハレイワ周辺の日系移民の人たちの居住区は、今プルメリア農場がある場所でもあると知りました。プルメリア農場の敷地の横に1本の大きな木があります。昔この辺りはすべてサトウキビ畑でした。そして、この大きな木の周りは日系移民の居住区があり、家や集会所、プールまであったそうです。今でも外壁が一部残っています。教会のKUMASAKAおじいちゃんがたどたどしい日本語と英語を混ぜながら教えてくれました。




この場所の歴史を知った後に見る農場の風景はまた違うものに見えました。穏やかな風の吹くプルメリア農場から見える1本の大木を見ながら、不思議な感覚になったのを思い出しました。